現場人が正に現場へ出る時は各種作業も勿論の事、職人さん達に依頼している部分について納まりの確認や指示をするのが主な仕事だ。
そんな時、職人さん達との会話でお互い頻繁に発せられるのが、
「当たり前だべ…」っていうフレーズ。
ある職人さんは必ず懐かしの
←までご丁寧に入れて返してくる。
大抵に於いてそんなご機嫌な返事をする時は現場人が云う確認項目を「云われなくても分かってるよ」って時だ。そうね、変?に拘りを示す私と弊社にも関わらず、長くお付き合いいただいている職人さん達とは云わなくても分かりあえる関係である事は確かだ。
ただね、ここで気を付けなければいけない事がこの「当たり前」にはあるんだ。
それは表題の通り、当たり前にはその人なりの
尺度があるって事。
そしてその尺度は常に進化形で終わりが無いって事だ。
建築でいう場合「お施主様の為」と「自分や会社の為」である事が高い次元で融合している事が大前提としてあるのなら問題ない。
お施主様が暮らしやすいような納まりを研究して提案をし、それらを日々進歩する理論とそれに対応する技術で創り上げる「当たり前」なら進化し続ける尺度で、現場人も常に意識している所だ。
それに対し、伝統技術を除いて研究や努力を怠った旧態依然とした尺度の当たり前や、自分の事ばかりを優先した当たり前に出くわすととても残念でならない。更に残念なのがそれらが自分と同年代もしくは先輩の皆様に多く見られる事だ。
特に工夫する事を諦めてしまった低次元での当たり前があった場合は即刻退場を命じる事になる。
「お施主様の為になる仕事をし、それが自分の技術向上や会社の売上に繋がる」
この話に異を唱える方はまずいないと思う。
そんな当たり前の尺度を持って現場人は明日も現場に向かうのだ。